2005.05.03
事故と言う悲劇
彼氏くん家でテレビを見ているとき、
ニュースになれば必ず報道されている4月25日の列車事故。
もういいかげんにしたらいいのに、と、お母さんがつぶやいた。気分が滅入ると。
JR西の社長が社員に訓示をしている(?)時の映像があったけれど、
目線は下ばかり見て、文章を読んでいるだけじゃないか。
もう少し「人」を見ることはできないのだろうか。
こういう人らは苦手かもしれないけど、不可能ではないはずだ。
言葉がつっかえたっていい、泣いたっていい、
遺族の心に届かせるには、まず自分から心を開く必要があるだろう。
謝ると言うのはそういうことなじゃなかろうか。
起こってしまったものは、仕方がない。
このような事故を二度と起こさせないように改善していくことで、
それを一般に明示していく事が必要なんだと思う。
JR西の売上は伸びてきていたらしいけど、それを光とするなら、
対になる闇もひときわ濃くなる。無理なダイヤなどがそうだろう。
社員教育の酷さもそうなんだろう。
この闇の部分に光が差した。
この光をまたうやむやにされるかどうかは、光の側にいる人次第。
けれど、ウチは自分勝手だから、多大な犠牲を払って生まれた一条の光を、
広がっていけばいいなと思いはしても、広げようとはしない。
全員が行動すれば何かが動くのは知っていても、自分の生活を大事にする。
まさに対岸の火事なのだ。
そうか、地震の時も、こういうことだったんだなとぼんやり思う。
ゴールデンウィークが始まったのに、事故のニュースは絶える事がない。
交通事故という言葉が、どうしても列車事故を連想させる。
せっかくこうやって生かされているのだから、
何を差し置いても安全運転は忘れちゃならない。
亡くなられた方の、ご冥福をお祈りします。
来世には、ずっと幸せな日々が過ごせますよう。
22:38 | COMMENT (2) | TRACKBACK (0)
TB & COMMENT
多くの人にとって自分に直接的な何かがなければあくまでも対岸の火事であり、画面の中の出来事なんですよね。
結局、物事を一番動かすことができるのはその当事者たち自身ですよね。
今回の場合は今後、如何にJRの安全対策が改善されるかというのは利用者が見守る必要がありますね。
何にせよ命にかえられるものはないです。
生きている限り日々大事に生きていたいものですね。
FROM 長月あきと : May 5, 2005 05:55 PM
今回亡くなられた人すべて、何も悪い事していないのに、なんでこの人が、という遺憾がこもっているはず。それってつまり、生きている人みんなが誰かにとって大切な存在であると言う事。
ぼんやり生きているだけじゃ、忘れがちなんですけど。「生きている」ってことをちょくちょく思い出すように過ごしていきたいもんです。
自分の価値って、自分じゃなかなかわからないもんですね~・・・誰かがいて、そこに映る自分を見る以外にないのだから、そこから目を逸らしちゃいけないんでしょうな。
FROM ひ@用務員 : May 9, 2005 09:08 AM